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去るのではない、もう一度奪いに行くために 田中浩康退団

延長11回1アウト1,3塁。
田中浩康が前のめりになったような体勢で放った打球が、ライトに向かってライナーで飛んだ。
「サヨナラ」
「優勝」
手応えはあったはずだ。
歓声が沸き、ベンチでは選手、コーチが乗り出すが、前目に守っていた江越の飛び込んだグラブの先に、打球は収まり歓声はため息に変わった。
しかしその直後に、歓喜の瞬間は用意されていた。
2アウトとなって、雄平が1塁線を抜く。
真中野球の象徴の一人である選手、この年開幕4番を務めた雄平が優勝を決めたサヨナラ打。
11年優勝を逃したときの主力である田中浩康は、試合後「もっていないなあ」と笑顔で言った。
完全なる世代交代は、このときからより加速し、田中浩康の出番はさらに減っていった。
そして16年10月7日、戦力外通告。
戦う場を探すために、背番号7は、スワローズのユニフォームを脱ぐことになった。

尽誠学園のセカンドとして、早稲田大学に進学。
1年春からスタメンで出場し、4年秋まで全試合出場。
04年ドラフト自由獲得枠でスワローズに入団、07年にベストナイン、10年には打率.300到達。
12年にはベストナインにゴールデングラブも加えて受賞。
バリバリのレギュラー、スワローズの顔であり、他のポジションはともかく、セカンドだけは争いがない無風地帯だと思われた。
しかしプロ野球というのは、毎年のように才能豊かな選手が入ってくる。
それもアマチュア時代に守っていたポジションにつくとは限らないのだ。
“ポスト宮本”としてショートを守ることが期待されていた山田哲人は、スローイングに難があるということでセカンドにコンバートされた。
田中浩康にとっては、思わぬライバルであったかもしれない。

またチームには流れというものがある。
高田前監督に「小川はGMの才能がある」と言われた小川監督。
育成に関しては”鬼”になれる小川監督は、チームとして勝負した11年、12年ともにCS出場は果たすも優勝を逃すと、13年チームリーダー宮本の引退もあり、世代交代へ舵を切り始めた。
その象徴となったのが、田中浩康の前に突然現れた山田哲人だった。
14年の開幕1番セカンド山田、2番に雄平を置き、7番にはルーキ西浦が入る。
覚悟が伝わるような開幕オーダーで挑んだ小川監督は、さらに非情な面を見せた。
本来なら、控えでも代打の切り札として起用するのが当然であろう、元レギュラー田中浩康を山田の刺激剤として使った。
山田の当たりが止まると、何でもない場面、9番の代打に田中浩康を起用。
1番を打つ山田は、代打田中浩康の後よく打った。
その策が効いたのか、山田哲人は日本人右打者最多安打の193安打を記録する。
新星誕生。
決して衰えて奪われたわけではない。
相手が悪かったとしか言いようがない。

しかしそれでも、翌年のキャンプで田中浩康は意地を通す。
彼にとっての聖地セカンドにこだわり、山田へ勝負を挑んだ。
これが山田哲人をさらに刺激した。
山田哲人は完全にスワローズの主軸となり、優勝の立役者、リーグはおろかプロ野球の顔となっていった。
この年の敗北を認めた田中浩康は代打に出場機会を求め、シーズン終盤には、慣れ親しんだセカンドを離れ、外野、ファースト、サードに挑戦し始める。
試合へのこだわり、チームへの献身もちろんそれもあるだろう。
ただそれだけではない、最後までレギュラーを奪う、その気持ちは失ってはいないと自分を奮い立たせる姿勢だったのかもしれない。

傍から見れば、山田哲人の勢いに向かうことは無謀に思えた。
しかし田中浩康は、諦めることなく臨んで見せた。
レギュラーになる前に見せていた、泥臭さを思い出すように、バットをボールに寄せ、グラブを差し出した。
15年のあわやサヨナラ打は、そんな田中浩康の姿がよく表れたものだった。
16年ファームで成績を残しながら呼ばれない、そんな腐っても仕方がない状況、自分の立場はわかっていたはずだが、それでも手を抜かず心を奮い立たせグラウンドに立ち続けた。
歩んできた道程とはイメージの違う泥臭さ。
それが田中浩康という野球選手だといわんばかりの、姿を見せた。

そんな田中浩康がスワローズに残したものは、実績と呼ぶにふさわしい成績だけではない。
今や球界のスターとなった山田哲人にとって、もっとも身近な手本であり、乗り越えなければならない存在が田中浩康だったはずだ。
池山、杉村コーチが、小川監督、真中監督が育てたといわれる山田哲人。
田中浩康をあっという間に追い抜き、前に出た山田哲人は、光を浴びる存在となった。
しかし一度は抜かれながらも、全力で追いかけてくる田中浩康の姿に、負けまいと刺激を受けた結果が、今の山田哲人を作ったのかもしれない。

光が当たるところには影が出来る。
田中浩康は影となった。
しかしそのまま去ることを良しとせず、田中浩康はもう一度戦うために、争いの場となる新天地を求める決断をした。
まだ終われない、その決断は田中浩康のプレーそのもののように感じる。
泥臭く、不器用で、勝負弱いといわれながらも、サヨナラ打が不思議に多い。
主に2番を打ちながら、歴代監督から不器用と言われ、バントの名手とされながら「1塁側限定」と揶揄された。
ファンが感情移入しやすい、弱さと強さの両方がよく伝わる選手だった。
それが人気となったのだろう。

「もっていない」のではない。
落とした意地は拾わなければならない。
もっていたはずのものを、田中浩康はもう一度拾いに行く。

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